しばらく、ブログアップできませんでした。反省。反省。
やっぱり、PC環境はクラウド化が、必要ですね~。
今日の記事は、かなり個人的な内容で、私自身、記録として
残しておこう的な感じなので、スルーしてくださいね。
実父が5月28日、永眠いたしました。
遠く離れて暮らしている、私にとって、とうとう、この日がきてしまったのか・・・という
感じで、知らせを受けました。
3月の初めに、末期がんがいくつか見つかり、ただ、それは、もう歳のせいもあり、今まで
発見されずに見逃していたわけではなく、ここ最近でできたのでしょう。とのこと。
余命1カ月とのことでした。それが、6月まで、頑張れたので、私とすると、2か月も
儲かったという感じです。
暦的に、葬儀まで、約1週間あり、父のそばに、長く居れたことは、個人的には
嬉しかったです。
29日から、2日の葬儀までに、入れ替わり、立ち替わり、弔問の方が
訪れました。狭い家なので、ご飯を食べるのもままならない・・そんな感じでした。
告別式、朝、斎場について、びっくりしました。
花輪の数、50個弱、生花、供物の数も、50は、下らなかったと思います。
祭壇も、花が大好きだった、父のためにお花畑のようなイメージでした。
これは、打ち合わせをしていた、兄の計らいなのでしょう。
そして、告別式に訪れていただいた方は、850人。
その数が、父が幸せな人生を過ごしたのではないかな・・・と感じました。
そして、父の意思を継いで兄の地元での活動につながり、その人数に
なったのではないでしょうか・・・。
父は献体を希望しており、火葬することなく福島県立医大に運ばれて行きました。
父が家に戻ってくるのは、最長で、平成26年3月だそうです。
自分の命がなくなったあとまでも、誰かの役に立ちたい!!と思う、
そんな父を、誇りに思います。
そして、最後まで、入院させずにお世話をしてくれた、母、兄、特に義姉には、
感謝してもしきれません。私ならできたのだろうか、途中で逃げ出してしまったのでは
ないだろうか・・・
父は、幸せな人生だったと思います。
父の生きざまに触れて、悔いのない人生を
自信を持って生きていきたいと
あらためて、思いました。
私的なことなので、記事にするのをためらいましたが、
自分の気持ちの整理と思い、書きました。
長文、失礼しました。